一口に文章を書くと言っても、その方法は小説であったり、論文であったり、このブログのような日記であったりと、様々な形式があります。

残念ながら、私は小説を書くための豊かな想像力や、皆をあっと言わせるような論文を書くための頭脳は持ち合わせていませんが、自分の気持ちを文章に落とし込むことは、上手いとは言えなくても、嫌いではありません。むしろ、今までの人生を振り返ってみると、無意識のうちにそうしてきたことに気づきました。

しかし、その事に気づいたのは、このブログをはじめてしばらく経ってからのことなのですが。

内向型の人間は「文章によって自分を表現することが得意であることが多い」と言うことは前回の日記でちょっとふれたことですが、私はこの説を、以前ご紹介したローリー・ヘルゴーの「内向的な人こそ強い人」と言う本で知り、実際にブログを書くことによって、それを実感しました。

自分の考えや感情を文章で伝えることによって、自分の言いたいことが明確になり、まとまっていく感覚を覚えたのです。

その流れの中で、私にとって文章を書くことはどのような意味を持ってきたのだろうと、ふと振り返ってみたところ、自分でも全く意識していなかったところに行き着きました。

それは何かと言うと、今まで生きてきた中で何かに感動したり、嬉しいこと・悲しいことがあったりして感情が揺さぶられて、自分の中で表現したいことがあったとき、私は文字にその感情を託すことが多かったということです。

それは誰に見せるためのものではなく、毎日つける日記でもありません。ただ、自分の中から押さえきれずに溢れ出るものを表現するときにとる行動のひとつが、言葉を書くことだったのです。

内向型人間は考えることが好きだということも、よく言われることです。

自分の気持ちを文字によって吐き出すことは、その考えるという行為によって導き出された答えを、よりはっきりとしたものにしてくれる作用があることに、ブログを書くことによって今更ながら気づきました。

前述したように、その行為自体は昔から無意識のうちにやっていたのですが。

私にとって書くということは、自分の意思を伝えたり表現するためだけの行為ではなく、自分の考えや感情、もっと言うと自分という人間がどういうものであるかという答えを導くための手段であるのかもしれないということに、このブログを通じて気付いたと言うお話でした。

投稿者 よもぎ

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